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たくさんの道草と、ものづくりの合間の独り言。
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雹の降る寒い一日だった。正確には凍雨と言うらしい。

夜、友人夫妻に誘われて地元の焼き鳥屋に行った。古い路地にあって、以前はスナックやお茶漬け屋が並ぶ暗い通りだったのが、ここ数年 小ぢんまりとしたお洒落な飲食店やギャラリーなどで賑わっている。
友人のご主人は美容師で、知り合って以来 髪を整えてもらっている。2週間前にも10センチほど切って顎のラインのショートボブにしてもらった。何の目的も無く伸びただけだったので惜しくなかったし、痛んだ部分が取れてすっきりさっぱり、元気になった。

一昨日会った珍友も元気になったと認めつつこう言った。
「2008年のしょうこの髪は、正直酷くて見てられなかったよ。今だから言うけど。」


2008年の春、私は突然の大失恋をした。
相手は大使館に研修に来ていたフランス人で、出会いはその一年前、バイトしていた銀座のバー(と書くとかなり硬いけど実体はとっても気さくな飲み屋)の常連さんが開いた下町のお花見だった。研修後に望む職種が見つけられずに帰国が決まった時、彼のご家族から従姉妹の結婚式への招待を受け、その夏の1ヶ月をパリのご実家で過ごすことになった。
何から何まで初めて尽くしで、加えて毎週イベントがあった。第1週目はお母さんの誕生日、翌週は従姉妹の結婚式、次にお姉さんの出産と親友の誕生日、そして最後はお姉さんのご主人の誕生日と、今思えばあらゆるご親戚にお会いしている。彼の叔母さんが福祉ボランティアとして時々預かっていた7歳の女の子に自己紹介したときには、私の名前が聞き取れずに ”あなたの名前はchocolatなの?” と恥ずかしそうにしていたのには胸がキュンとした。あれも立派なカルチャーショックだったと思う。
そのバカンスの後は、日本で一緒に暮らすために彼はパリで大学の卒業と日本の就職口獲得を目指し、私は文字通り休み無く働き、skypeで毎日朝夕2度の会話と手紙のやりとりをして、クリスマスやお正月、バレンタインには会いたいとお互いに全身全霊で願いながらも将来の暮らしに備えようとぐっと堪えては励まし合い、ご両親から時々届く詰め合わせは私に勇気をくれた。子どもみたいだけど仕方なかったし、間違ってないと思っていた。
しかし彼の就職口は見付からなくて、あちらで家族会議が開かれた結果 私がパリに行くことになった。私は調理か彫金か何かしらできそうな気がしたし、パリには県人会とそこに繋がるつてもあったのでさして心配はしていなかった。実際、どうにかなったと思う。
2008年のまさに今の時期に、何個目かの詰め合わせが届いた。中にはラブレターはもちろん大好きなお菓子、お父さんからの香水も入っていた。でもその同じ日の夜に、私は突然振られてしまった。

珍友が言ったのは、その後の髪のことだ。
人間とは、女性とは、私とは恐ろしいもので、気持ちが即座に髪に反映してしまう。
1ヶ月のパリ生活、その硬水のせいだと周りに説明することで私もそう思い込もうとしたけれど無理があった。その頃は胸近くまでの長さがあり、それを思い切って自称”パリの水で傷んだ部分”をばっさりしたつもりだったのに全く落ち着く気配は無く、美容室の床に落ちた自分の髪はまさに ”ゴミくず” で、乾いた心そのものに見えて泣きそうだったことを覚えている。
お風呂では毎日キャップを被ってまでトリートメントをし、乾かした後もトリートメント、効くと聞いて椿油やワックスなど色んなことをしたのに無駄だった。珍友も、せっせと高級なセットをプレゼントしてくれた(そっか、そういうことだったのか!今、合点!ありがとう!)
2008年は、身も心もずーっとそんな感じだったと思う。

2009年春にもショートボブにしてけっこう元気になった感じがしたけれど、美容室の床に散った髪の毛はまだゴミに見えていた。

そして2010年。2週間前。床の髪は、髪に見えた。ゴミには違いないけれど、少なくとも”くず”じゃなかった。まだ潤っている感じがした。
私の心は知らぬ間に落ち着いて、自然の摂理通りに正しく美しく新陳代謝を果たしたのだ!!
どうだ!?


フランス人の彼だが、振った後も”必ず会いに行く”と月一で連絡をよこし続け、私は気にしていない振りをしながらもそれにどっぷりとすがりながら2008年を過ごし、2009年頭、ひょんなことからあちらにはもう恋人がいると判明、昨夏には、大のSNS嫌いだった彼が私が撮影した写真をfacebookに使っているのを見付けて大爆発し、以来もうすっかり冷めた。
最後の最後まで私を振った理由を説明できず、結局彼が彼自身を整理できないと言うことだけがはっきりした。いつか許してくれたら再会したいそうだけど、許すも許さないも、縁があればどこかでばったり会うんだろう。再び親友になりたい、と彼は願っていたが、仮に会えたとしてもそれも分からない。全てはタイミングだから。
ただ、彼がくれた経験やご家族には今でも心の底から感謝している。言葉が通じなくてもショッピングに出掛け、歌を歌い、喧嘩も見て、温かい家族の絆を教えてもらった。



どうしてこんなことを書いているかというと、書けるようになったから。しかもこの時期に。
理由はひとつ、それだけ。



今年は意識して髪を伸ばしてみようか。
そしていつの日か「賢者の贈りもの」のような美しいカップルになってみせるんだ!
…金は持っていたいけどね。


 

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HN:
TOBARU SHOKO
性別:
女性
職業:
Creator
自己紹介:


フリーランスのジュエリー作家から調理の世界に寄り道後、アートのクリーエーションに魅了されて現在に至る。
育児支援施設にて親と子を対象とした造詣教室「親子でアート♪」を手掛ける他、下手の横好きで書きモノも少し。
アクセサリー制作は作家の補助、
初心者対象の教室、趣味での制作、など。
ちなみに画像は家宝のPIRELLI Calendar 96 by Peter Lindberghより。
okinawa出身。

                 
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