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たくさんの道草と、ものづくりの合間の独り言。
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言葉は、時として思わぬ方向に伝染してしまう。その影響は他者だけでなく自分自身にも及ぶことがある。だから今日は努めて、努めて冷静に書かなきゃならない。風呂にも入ってすっきりさせたし、ゆっくり、じっくり書けるはずだ。

21時、普天間基地の移設先が名護/辺野古に決定、首相の記者会見がTVで流れた。

普天間を巡る今回の一連の動きに、生まれて初めて「沖縄人」としての感情をしっかりと抱きながら、今まで慎重に避けて来た言葉を吐いた。それは、「沖縄は独立国になってしまえ」だ。

私は沖縄人の父と宮城人の母を持ち、常に中庸でいたいと思いながら生きてきた。沖縄と日本のどちらか一方に偏らないために、感情的になることを避けて来た。そんな私に独立国という発想は余りにも沖縄主体の言葉で、余りにも感情的だった。
避けて来た理由は、簡単に言えばこうである。

2004年の夏、普天間基地のヘリが市内の大学構内に墜落した直後に、フォトジャーナリストの森住卓さんと久々にお会いする機会があった。理由はなんだったか覚えていないけれど、喫茶店で机を挟んで事故の話しになって、私は彼に「もっと怒れよ!」と言われたことは強烈に覚えている。そしてそれでも怒る気になれなかったことも。

あの時の事を思い出したり人に話したりしながら、その度に私はなぜ怒らなかったのか、怒るって違うと思ったのか、自分の気持ちを探って来た。なんとなく聞こえも良くて自分も納得できる理由としては、「感情的になった所で得なことは無い。冷静に対処しなければ政府は耳を貸さない。過去の歴史がそう物語っている。」というものだった。それでも時々あの喫茶店を思い出すのはなぜか。本当は納得していないからだ。

「沖縄は独立国になってしまえ」。
この一言は、私にとってはとても大きな怒りの表現である。この言葉を吐くとき、私は完全に沖縄人として立っている。しかし、今までふつふつと身の内に種火として燃え続けてきた怒りとは種類が違うと感じる。

ここまで考えてみて、やっと分かった。怒れなかった理由、今、種類が違うと感じる理由。

「怒り」は、表面的な爆発で終わってしまうことがある。
日々の憤懣をある程度「怒り」として処理してしまうと、勢いは弱まる。
根本まで届く前に消えてしまう恐れがある。
だから、私は怒ることが怖かったのだ。
怒ることで満足してしまうこと、そして中庸でいられなくなることが。

今の私はそのどちらも怖れてはいない、と感じる。どう「怒り」を表現しても私個人が二つのアイデンティティを持っていることに変わりは無く、根本に届くことなく満足してしまうことも無いはずだ。
しかし「怒り」という日本語の、言葉そのものが持つ印象が他者に与える沖縄のイメージを正確に操る自信は、まだ無い。
だから、「ANGRY」と。
私にとっては、この響きの中身は未知だから。


未来をコントロールしたくない。健全な「今」から未知なる未来へと生きて行きたい。どうしたら良いのかは分からないけど。


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HN:
TOBARU SHOKO
性別:
女性
職業:
Creator
自己紹介:


フリーランスのジュエリー作家から調理の世界に寄り道後、アートのクリーエーションに魅了されて現在に至る。
育児支援施設にて親と子を対象とした造詣教室「親子でアート♪」を手掛ける他、下手の横好きで書きモノも少し。
アクセサリー制作は作家の補助、
初心者対象の教室、趣味での制作、など。
ちなみに画像は家宝のPIRELLI Calendar 96 by Peter Lindberghより。
okinawa出身。

                 
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