たくさんの道草と、ものづくりの合間の独り言。
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そんなタイトルの映画があった。リチャード・ギアが二人の女性の間で苦悩する話しだ。
人生の”分かれ”道に立った男は、誰と”別れ”てどの道を選ぶのか…。
思うに、人はいつでも何かしら選択しながら生きている。
煩わされることなくやり過ごせる些細なことから、なぜ自分に降りかかったのだ、と苦しみに悶絶するような、人知を越えた出来事までその幅は無限にも思えるほど広い。
最近、とあるSNSでこんな質問を受けた。
「人の人生はその人が思った通りになると思いますか、それともそこまでの力はないと思いますか?」
質問の主は20代のプロの格闘家で、一度も会うことなくここ3ヶ月の間に何度かやり取りをしている。私の言葉の何かが誘ったのか、試合が近いと言う彼の精神状態がそうさせたのかは分からないけれど、とにかく唐突な投げ掛けに多少面食らった。
しかし、すぐにイメージは広がった。
それは、どこまでも伸びる樹木のような、縦横無尽に迷走する菌糸のような、
無数の「わかれみち」だった。
以下、その時の返事を。
------------------
なんでしょうか今回のご質問は(笑)
でもスピリチュアルな話しを哲学的な方向に持っていくのは好きなので、 私なりにお返事しようと思います。
人の人生には、常にいくつかのストーリー、選択肢があるように思います。
突発的な出来事により一旦はその選択肢がぎゅっと狭まり(たとえば1000あったのが100になる、とかそんなイメージで(笑)、 その中で動かざるを得ません。というか、動くことができるようになります。 選択肢が狭まったことで、行動が楽になる、機敏になると言いますか。迷う余地が少なくなる分動きまくると言いますか。
そこでグッと方向転換します。
しばらく経てば、また選択肢は増えて歩みがゆっくりになる。
そしてまた、意思とは関係のない突発的な出来事が起こる。
そういうくり返しだと感じています。
それらは何かに関係していて、どこかに導かれているのかもしれない、と思うことがあります。 運命としかいえないようなタイミングの体験は、それ以外に考えようがない。
と、ここはスピリチュアルな感じで眉唾なのですが(笑)、 その中で良い選択をするには、それまで真剣に考えてきたかとか、準備してきたかとか、そういう経験に裏打ちされた判断力が必要で、現実的なサバイブ力が問われます。
ですからどんなアクシデントも、それはどのストーリーを選択するのかの分岐点に来たという合図である、と感じます。
以上のことから、ご質問への答えは、
人は、人生において、正しい選択をする力は確実にあると思います。
思った通りになるかどうかは、正しい選択ができるかどうかという言葉に置き換え可能なら、なる、と言えるのではないでしょうか。
しかし、思った通りの人生であるかどうかは、未来の自分のみが知っているのかもしれません。
…こんな感じでいかがでしょうか^^;
------------------
この返事を書いた後、友人達と似た話しをする機会を得て同じように答えた。
友人の一人は泣いた。
別の友人は、 ”あんたはもう、いつ死んでも大丈夫!” と唸った。
私達はワインを何本か空けて、とても良い気分だった。
改めて読んでみて思うことは、「答えなんかない」ってことだ。
今 どんなに考えても分からないことがあって、だからこそ正しく選択しようともがいて、そうやって時を積み重ねながら未来の自分に自分を委ねて行く。
それを人はなんと呼ぶのだろう。
私はまだ、しっくりと来る言葉を見つけられずにいる。
人生の”分かれ”道に立った男は、誰と”別れ”てどの道を選ぶのか…。
思うに、人はいつでも何かしら選択しながら生きている。
煩わされることなくやり過ごせる些細なことから、なぜ自分に降りかかったのだ、と苦しみに悶絶するような、人知を越えた出来事までその幅は無限にも思えるほど広い。
最近、とあるSNSでこんな質問を受けた。
「人の人生はその人が思った通りになると思いますか、それともそこまでの力はないと思いますか?」
質問の主は20代のプロの格闘家で、一度も会うことなくここ3ヶ月の間に何度かやり取りをしている。私の言葉の何かが誘ったのか、試合が近いと言う彼の精神状態がそうさせたのかは分からないけれど、とにかく唐突な投げ掛けに多少面食らった。
しかし、すぐにイメージは広がった。
それは、どこまでも伸びる樹木のような、縦横無尽に迷走する菌糸のような、
無数の「わかれみち」だった。
以下、その時の返事を。
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なんでしょうか今回のご質問は(笑)
でもスピリチュアルな話しを哲学的な方向に持っていくのは好きなので、 私なりにお返事しようと思います。
人の人生には、常にいくつかのストーリー、選択肢があるように思います。
突発的な出来事により一旦はその選択肢がぎゅっと狭まり(たとえば1000あったのが100になる、とかそんなイメージで(笑)、 その中で動かざるを得ません。というか、動くことができるようになります。 選択肢が狭まったことで、行動が楽になる、機敏になると言いますか。迷う余地が少なくなる分動きまくると言いますか。
そこでグッと方向転換します。
しばらく経てば、また選択肢は増えて歩みがゆっくりになる。
そしてまた、意思とは関係のない突発的な出来事が起こる。
そういうくり返しだと感じています。
それらは何かに関係していて、どこかに導かれているのかもしれない、と思うことがあります。 運命としかいえないようなタイミングの体験は、それ以外に考えようがない。
と、ここはスピリチュアルな感じで眉唾なのですが(笑)、 その中で良い選択をするには、それまで真剣に考えてきたかとか、準備してきたかとか、そういう経験に裏打ちされた判断力が必要で、現実的なサバイブ力が問われます。
ですからどんなアクシデントも、それはどのストーリーを選択するのかの分岐点に来たという合図である、と感じます。
以上のことから、ご質問への答えは、
人は、人生において、正しい選択をする力は確実にあると思います。
思った通りになるかどうかは、正しい選択ができるかどうかという言葉に置き換え可能なら、なる、と言えるのではないでしょうか。
しかし、思った通りの人生であるかどうかは、未来の自分のみが知っているのかもしれません。
…こんな感じでいかがでしょうか^^;
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この返事を書いた後、友人達と似た話しをする機会を得て同じように答えた。
友人の一人は泣いた。
別の友人は、 ”あんたはもう、いつ死んでも大丈夫!” と唸った。
私達はワインを何本か空けて、とても良い気分だった。
改めて読んでみて思うことは、「答えなんかない」ってことだ。
今 どんなに考えても分からないことがあって、だからこそ正しく選択しようともがいて、そうやって時を積み重ねながら未来の自分に自分を委ねて行く。
それを人はなんと呼ぶのだろう。
私はまだ、しっくりと来る言葉を見つけられずにいる。
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Profile
HN:
TOBARU SHOKO
性別:
女性
職業:
Creator
自己紹介:
フリーランスのジュエリー作家から調理の世界に寄り道後、アートのクリーエーションに魅了されて現在に至る。
育児支援施設にて親と子を対象とした造詣教室「親子でアート♪」を手掛ける他、下手の横好きで書きモノも少し。
アクセサリー制作は作家の補助、
初心者対象の教室、趣味での制作、など。
ちなみに画像は家宝のPIRELLI Calendar 96 by Peter Lindberghより。
okinawa出身。
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