[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
今日は昨日の30℃越えの猛暑から一転、20℃を下回る寒さと豪雨でなんとなーく疲れる一日だった。
雨が止んだ隙に、プランターの整理を。剪定したバラから根(カルス)が出たので見覚えの無い植物を抜いて場所を作ったのだけど、なんとこれ、ドライフルーツのデーツ(ナツメヤシ)の種から芽を出したものだった。
ボランティアでお世話になっているJIM-NETの事務所には、イラクからのお土産の定番としてこのデーツがあることが多い。コーヒーにとっても合うこれが私は大好きで、7/31の現地スタッフ報告会で振舞われた時なんて、余ったものをティッシュに包んで持ち帰ったくらいだ。
好き過ぎて捨てられない、ということは誰にでもあると思うけれど、私はこの種すら捨てられなかった。それでなんとなく、プランターの端の地中に埋めたんだった。
薄っぺらだった種は水分を含んでぷっくらと膨らんで、葉はプラスチックのように硬く、鉢の底を這うように伸びた根はしっかりと太い。なんて力強い植物。でもこれ、大木だと思うんだよね。このまま育てて良いのかな…。
引っ越した鉢でも成長するなら、限界まで育ててみようかな。せっかく遠くからやって来たんだから。
今日も30℃を越えて猛暑日が続いているとは言っても、もうすぐ秋。暑いうちに身に着けたいネックレスの手入れをした。白い葉を模ったパーツが連なる、母の夏用のネックレス。よく見ると色んな所に綻びがあったので、糸と、錆びて痛んだ金具も替えることに。
全てばらして、まずパーツの洗浄を。ブラシで一つずつ洗っていたら、網かごの中で一つ欠けてしまっていた。その断面を見て驚いた。プラスチックだと思っていたのに、ガラスだった。もっと観察してみた所、葉と葉の間に入る白いビーズもガラスだった。
だから重かったのか~。”プラスチックなのに、変”と思いながら今までぞんざいに扱って、ごめんなさい。
欠けた葉は、漆作家のともちゃんに金継ぎで直してもらうことにした。趣があって母も喜ぶと思うし、何より母らしい。
今は、掛けた一つを除いて連にしている。
修理が上がったらどうしようかなあ。ひとつだけ別にしてネックレスにしようか。それとも連に戻して、金継ぎに合わせた金色のビーズで間を飾ろうかな。そうすれば秋も着けられそう。
楽しみ。
昨日19日、3331アンデパンダンが終了しました。
久々に経験した展示会は、緊張や反省と共に、今の年齢だから分かること、以前と今の自分の差、足りないことやこのまま続けて行っても良さそうな自分の方向など、たくさんのことを感じることができました。
いつも忙しくてなかなか会えない方にお越しいただけたり、連絡が取れたり、そういう所も本当に嬉しい収穫でした。
日々考えていることをどう表現して、どうやって人を喜ばせるのか。「キャッチー」がキーワードな今のアートや時流を理解するのは難しそうですが、また何か機会があれば、挑戦してみたいと思います。もしかしたら、伝統や技術、職人気質が重んじられる世界観から離れることにあんなに苦労したクラフトにも、少し戻ってみるかもしれません。
今作ったら、何か違うかもしれないし。
そんなことを様々に思った日々でした。
お越しくださった皆さん、ありがとうございました。お会いできなかった方とも、次のこういう機会にお会いできればと思います。
そう、スカラシップ・人気投票ともに漏れちゃいました。票を投じてくださった皆さんにも、お礼申し上げます!
”憧れの希望の灯り”を持つクマ3匹が我が城に。作業台の上より。
右と左はLEDをフィルムケースの中に仕込んだので光りが凝縮されています。
今日は、ともちゃんがアンデパンダンに来てくれた。10年振り!?の再会。お母さんになって、すっとした佇まいで綺麗だなあ~と思ったし、ものづくりをずっと続けている彼女と話せたことがとても嬉しかった。
夜は、久し振りにタイ料理を。
恒例の「大人なのに大人になりたくないオンナ4人組」。
私は言いたい。なんて美しい4人!!
重ねて言う。なあーんにも恥ずかしくない。美しいぃ~4人、である。
それに負けじと薬指に光るダイヤ…私のじゃなくて残念だけど…ほんと、綺麗。
楽しい一夜だった。
帰宅後、メールをチェックしていて、流れで知人のBlogを読んだ。書かれていた内容に、先日ウルトラマンの生みの親である金城哲夫さんの特集番組を見て思ったことを振り返った。
ウルトラマンの素地をご存知の方は多いと思う。私も沖縄人のひとりとして、金城さんをとても敬愛している。そして、本土人と沖縄人の間に生まれて時として「ハーフ」と見られ、今では積極的な意味でそう呼ばれる私にとって、彼の苦悩は手に取るように分かる、と感じている。だから番組を見ている間、かなり苦しかった。
私たちは、それぞれがそれぞれの”利益”を求めて生きている。資本主義である以上間違っていないと思うし、私にはそれ以外の生き方はきっとできそうもないとも思っている。でも、”それ”から大義名分を引き剥がすことは可能で、それを可能にする、人を動かすのは、”世界を知ること”だろうな、と心底思っている。
物理的に言えば…遠い場所に愛する人がいたら。その遠い場所も幸せな場所であって欲しいと願うもの。彼の地の景色を愛し、文化を愛し、人々を愛する。そしてどの土地にも同じ愛があると気が付く。
最近、”SUNSHINE(太陽の雫)”という映画を見た。激動のハンガリーを3代に渡るユダヤ人一家の目線で追った物語だ。
この映画に対してとあるサイトで、”選民思想ってあるし、仕方ないし、ユダヤ人が嫌いって気持ちも分かる”というコメントを見付けた。映画は娯楽だから色んな見方があって然るべきだけど…。
何が言いたいかというと。
もっともっとみんなミクスチャーしちゃって、どんな場所にも愛を見つけられますように。
「グローバルな目線が自分を気付かせる」。
今年開かれた瀬戸内国際シンポジウムでの言葉。
人類学にも、ウルトラマンの金城哲夫さんの心にも通じるこの言葉、私はとても素敵だと思う。
Blogにコメントをくれた友人への返事とかぶるけど、ジュエリーを商売にしていた時に痛感したことは、こういうものづくりを他人に見せる時、好きなだけでは確実に足りなくて、正解不正解が歴然とある、ということ。その中で、どう作っていくか、とか、自分はどこにいたいのかとか、レベルを上げたり下げたり、自分で自分の立場を決めなくちゃいけなかった。
今の自分はどうなのかというと、好きに作っていて良い「親子アート」という場所があって、もう一方の「評価を求める場所」は空いている。これって実はとっても贅沢なことだと思う。ものづくりを続けながら、リフレッシュも、コンセプトの落とし込みもできるなんてそうそう無い。
過去にして来たことが、長~い休暇を経てまた頭をもたげて来たかも。
何かできるかもしれないし、何かしたい、と思えてきた。
フリーランスのジュエリー作家から調理の世界に寄り道後、アートのクリーエーションに魅了されて現在に至る。
育児支援施設にて親と子を対象とした造詣教室「親子でアート♪」を手掛ける他、下手の横好きで書きモノも少し。
アクセサリー制作は作家の補助、
初心者対象の教室、趣味での制作、など。
ちなみに画像は家宝のPIRELLI Calendar 96 by Peter Lindberghより。
okinawa出身。
| 01 | 2026/02 | 03 |
| S | M | T | W | T | F | S |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 |
| 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 |
| 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 |
| 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 |
MIREI
NAOHISA'S LAND
Size E
AMON MIYAMOTO
kyota matsudo glass,design,art and so on
chanchun62-Japanware
ALHOPE
親子でアート♪の部屋