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たくさんの道草と、ものづくりの合間の独り言。
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何かあるとすぐ自分の内面に振り回されるので、その解決策として、「自分と向き合う」と称してひとりの時間ばかり作っていた若かりし頃(特に10代)を経て、だんだんと潜在意識なるモノを一掃しようと考え始めて久しい昨今。
ひとりで過ごしたってさ、相手がいない分誰も傷つかないのは当然なのよね、そんでそれは、自分の傷も癒せないという恐ろしい側面を持つ。

傷つかない分、癒せない。

社会の営みに真っ向から逆らうこの法則を、私は未だに身の内に抱えている訳です。そして無駄に、本当に無駄に誰かを傷つけるという。寂しくて何かが空恐ろしいから吠えるのね、噛みつくのよ。犬と一緒。

ここに来て金銭的にもゆとりが出てきたので、アファメーション的な音楽でも手に入れて自己改革をと思い始めた。本の類は穴が空くほど読んだから(多分それでも足りなそうだけど)、今度はヒーリング的な、感覚にアプローチして見ようかと思った矢先、メルマガにそんなCDのお試し版がくっついて来た。さっそく視聴。

導入部分でリラックスを促した後、声は告げる。

”あなたは許される存在なのです。あなたは、愛されています”

ドームに反響するようなこだま。BGMは、緩やかなオルガンの和音。

”解き放ちましょう”

…びっくりした。なぜって、これ教会の礼拝とそっくりだ!!!!
人は丸い胎内で育ったから、胎内の心地よさを求めているんだって言うけど、だから教会は反響するようにできているの?(そうじゃない建物もあるけど。)
これってもしかして常識?私が知らなかっただけ?
礼拝のあの独特の感覚、私は好きだったりするけど、もしかしてあれが心を解放している、と言う事?もしそうだとしたら、信仰が人を突き動かすのも分かる気がする。心が解放された時に、許しながらいつでもどんな状況でも愛してくれるっていう神の存在がすうっと入ったら、素直に、本当に雑念なくただただ従うかも。潜在的に。本能的に。恐れず言うなら、その忠誠は実のところ刷り込みかも…しれない。

とにかく、アファメーションと礼拝がリンクしたので、機会があったら久々に、本当に久々に、洗礼を受けていない人でも受け入れてくれる教会の礼拝に出てみよう。

意識して心を解き放つこと、その術を手に入れたいのです。まずは神様抜きで。無意識から。って言って敷居をまたがせてくれる場所、あるかしらw






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HN:
TOBARU SHOKO
性別:
女性
職業:
Creator
自己紹介:


フリーランスのジュエリー作家から調理の世界に寄り道後、アートのクリーエーションに魅了されて現在に至る。
育児支援施設にて親と子を対象とした造詣教室「親子でアート♪」を手掛ける他、下手の横好きで書きモノも少し。
アクセサリー制作は作家の補助、
初心者対象の教室、趣味での制作、など。
ちなみに画像は家宝のPIRELLI Calendar 96 by Peter Lindberghより。
okinawa出身。

                 
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