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たくさんの道草と、ものづくりの合間の独り言。
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10月22日、石巻で橋本かまぼこさんを堪能し伯母とやんややんやと言い合った後(笑)、
お昼過ぎにスペース千人風呂さんへ。
震災の翌日に石巻に入り、お風呂を提供していた千人風呂。現在は、熊谷宏さん(くませんせい)主宰で地域のコミュニティーセンターとして活動を続けられています。

震災後 まだ迷いもある中で沖縄に一旦戻るとご連絡した時、いただいたお言葉に背中を押されたことは、きっと一生忘れないはず(くませんせいは普通に喋っただけだと思いますが(笑)
さてそんな繋がりや、母が仙台出身という個人的な事情もあって東北は大事な場所ですが、
今回の旅で現地を見ること、お住まいの方々と顔を合わせることで、その感覚に幅が出ることになったのでした。

23日の釜石しかり、宮城県のそこここにもある仮設商店。
商店だけでなく、銀行、交番、郵便局など、町の機能をそっくりそのまま移した仮設もありました。
その場所が学校の敷地内だったり、学校の統廃合が進んでいたり。
点在し、時には山の中腹の小さな平地にまで建てられている仮設住宅。
大川小学校、女川地区に残された倒壊・崩壊した建物。
今も残る、写真に撮ることのためらわれる姿。

今回の訪問で直接聞いてみたいと用意していた質問は、「今、求めるものは何ですか?」。
どうして良いか分からない私ができることを模索したくて投げ掛けた質問でもあります。

23日の釜石でもそうであったように、答えはすんなりとは出ませんでした。
それだけではなく、想定外の現地での反応にいち旅行者の立場を思い知らされ、沖縄に今もある観光客と地元民の壁のようなものの存在に、枝葉どころか葉脈のように入り組む問題の複雑さを感じて。
それでも、そんな気持ちで見た光景、仮設だけではなく地元を離れることなく生きる方々の姿は、”可能性”を秘めた”希望”以外の何ものでもありませんでした。

私(達)に何かできることがあるとするなら、その希望と可能性を広げることで、
それは、くませんせいや釜石の松原さんが迷いながらもお答えくださったように、
<strong>「直接 訪れること」</strong>
なのだと思います。

訪れることとは、肉体を直に持って行くだけじゃないと思います。
心を彼の地に持って行くこと=常にココロを持つこと。
語彙力に乏しい私には思いつかないけれど、きっと日本語にはそんな言葉があるはず。

忘れないでいようと思います。
心。希望。可能性。この三つ巴を。




今も残る、千人風呂跡。門番は、エイリアン!?


雄勝総合庁舎跡地に建つ仮設商店。
観光客も迎え入れながら、地元の人々の生活がありました。


女川にて。保存するという声をあるそうですが、ここは3m近く盛り土する予定地。
左の倒壊した建物の目の前には、右の写真の高台が。病院の駐車場。
ぎりぎりまで水が来たそう。


昨年4月に女川高校グラウンドに出来た、きぼうのかね商店街。ステキな名前!!
仮設ですが、かなり本格的でいろんなお店が入っています。

きぼうのかね商店街には、交番、銀行、郵便局も。
流された中心部が、集まっていました。
女川高校は、今期を最後に廃校となります。


商店街の奥にある、鐘にまつわる奇跡。
奇跡に集まる気持ちもまた、心と希望と、可能性。


スペース千人風呂では、ブルースなくませんせい、地域の皆さんのイベントも大好評開催中♪♪





〜おまけ〜
23日、釜石からホテルに戻って書いたfbを。いただいたお返事に、我慢していた涙が溢れちゃったのでした。

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今日の釜石は、昨日の石巻も、復興は進んでいるとはお世辞にも言えず、観光客の目で見ても、明らかに”どん詰まり感”がありました。

そんな中でも、人々は明るく、再起を掛けてふるさとで過ごしている姿は、可能性、その一言に尽きる美しさでした。

どこから手をつけて良いのか分からない問題の大きさを憂うばかりではなく、できることからやってみる強さ。

私のようなイチゲンサンをガイドしてくださるのも、郷土愛にほかなりません。

法律が阻む壁、オリンピックに人夫が取られて被災地全体の復興の遅れが決まった落胆、それでも、生活は続くなら、つとに明るく。

がんばれ、東北!
片方の血が東北であること、日本人であることを誇りに思います。

本当に、来て良かった。すべてに感謝。



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22日、伯母と石巻へ。
東京に住んでいた頃にJIM-NETでお世話になった熊谷宏さん=くませんせいが主宰されている、
”スペース千人風呂”を訪れるのが目的です。
今年、微々たるものですが”親子でアート♪”の収益を寄付させていただいた先でもあります。

と、伯母に話すと、「あなたに食べさせたいわ、焼きたてを。」
ということで、まずは30年のお付き合いと言う”橋本かまぼこ”さんへ。
”橋本かまぼこ”の笹かまぼこは、石巻で、ずーっと3人で作り続けているそう。
その人気から1年待ちの場合もあって、無添加であることもありお取り寄せも難しいとのこと。
店頭で手に入れるしかない、私にとっては「幻の」笹かまを食すべく、いざ!

連絡なしで訪れたけれど、開いていました〜。
店頭で焼きたてをいただき、びっくり。
まずその大きいこと!そしてそのお味!食感!
ふわふわっとして、ほんのりと甘くて、これまで経験した笹かまとは別物で。
「これが”ご当地もの”なのね。」
観光地に生まれ育って分かってはいるけれど、外向けとの差を再確認。


もうこれは今買うしかないでしょう!と購入したことで、実は伯母とすったもんだ起きまして…(笑)

スーパーで氷をもらい、伯母の車のトランクに常備の発泡スチロールの箱に入れ、
帰りは別になったのにも関わらず夜にはホテルに届けていただいて即冷蔵庫へ。
叔母からは保冷バッグをもらって、
沖縄まで一切常温に晒すことなく無事に持って帰ったのでした。

…お陰で沖縄の皆様も美味しいと言っていただきました。
伯母さん、叔母さん、ありがとうございました☆

さあ、そんな感じですが、まあね、
幸先の良いスタートを切って(と言えるでしょ!?)スペース千人風呂へ向かいました。

…続きは、また。


今も手焼きでひとつずつ。
「こんな店、ないわよ、写真撮らせてもらいなさい」と、伯母。
パチリ♪

空港には”橋本蒲鉾店”という店がありましたが、
伺ったところ製法は同じだけれどレシピは変えているとのこと。
確かに、違うお味でした。

石巻には他にもかまぼこ屋さんがいくつかあるそうです。
その全てが再開できている訳ではありません。
ですが、そんな中でも営業を再開されている皆さんの決意に、
まず心打たれたのでした。



23日に訪れた”創作農家こすもす”で出会った松原さんに、
釜石を案内していただきました。

近代製鉄業の町・釜石の、製鉄所が攻撃を受けた戦時中のことや、
東北を回るとそこここに見受けられる碑=過去の大地震・津波のことなどを織り交ぜながら、
それらの災害を教訓としても余りある2011年の震災を、詳しく教えてくださいました。

地盤の沈下で海面がすぐそばにある町並み(台風銀座の沖縄人としてはぞっとする程の恐怖です)、
満潮時には溢れて押し寄せる海水、盛土で整地しなくてはならない現状、松原さんの、2ヶ月に及ぶ避難所での生活…
そして、仮設住宅。仮設商店。

一切減ってない。減らすことができない。
アパートや公団を建てようと思っても、進まない。
理由は、土地の準備が追いつかないから。
個人的な事情しかり、なにより法律が阻む壁のように思いました。

それで良いのかな。
こんな時は、柔軟に考えて良いんじゃないかな。
ここも判例ナシでムリってことかな。
(家業のためにほんの少し勉強した法律の授業を思い出しました…)
それよりも憲法の問題になっちゃうのかな。

実は、いち観光客として、どんな態度で、立場で訪れたら良いのか分からないままに実行したこの旅で、
沖縄に訪れる観光客と地元民の温度差に似たようなものを、前日の石巻で感じていました。
地元の人間ではない私、来ては帰って行く旅人である私の立場で、どこまで踏み込んで良いのだろう?
それでも思い切って投げ掛けた質問に、

「直接来て欲しい」

松原さんはそう答えてくださいました。
考えあぐねた末の、真摯なお言葉だったと思います。

熱を込めて案内してくださった場所には、21日に釜石市長が解体を発表した”鵜住居地区防災センター”もありました。
行政と地元住民の意見の相違が招いた悲劇を、そのままの事実として受け止めるように努めなければぶれそうになる感情を抑えて、1階から2階へ。
高い天井近くに残る水面の跡を眺め、お亡くなりになった方の無念だけではなく、力強く説明してくださる松原さんの心中を思い、郷土を愛する強い心を感じました。

「郷土芸能って、ほんとに良いなあ〜って思いましたよ」
防波堤伝いに車を走らせながら、今夏に再開されたお祭りのことを教えてくださった時の印象的な言葉です。
みんながひとつになれる。
それもまた、希望を生み出すチカラ。
地元を愛する気持ちが、何ものにも変え難いこと。

そして、私が思ったことは。
”うん、また来よう!観光客で、良いじゃない?”

だから、近い内に、また!


海岸近くの建物。左手の3階まで浸水しました。右手の建物は、完全に水没。


震災以来テントで活動していた釜石消防署。
やっと建物の建設が始まっていました。
命を守る消防士の多くもまた、仮設暮らし。


過去を教訓にして作られた世界一の湾口防波堤が、これでも被害を軽減させた釜石。
崩れ流された防波堤の再興が始まっています。
今では仮設の宅地となっている素晴らしい眺望の公園より。
リアス式海岸の様子も、よく分かります。


予定を前倒しして震災数日前の日曜に開通した自動車道。
震災時は、多くの方がここに上って助かり、震災後は物資を運ぶ大動脈となりました。


釜石の飲み屋街が仮設に。30軒余り入っているそう。
”ちょっと酔っ払った感じで〜?”と、お茶目なガイドの松原さん(笑)
今回は私、緊張し通しでしたけど、次回はぜひ、一献!!!





先週、唐突に決めて行って来た東北。
実は亡母の故郷が宮城県仙台市。
親子でアート♪の寄付活動だけではなく、
東北は、個人的な繋がりがある地域、とも呼べる場所です。


その東北に、震災以来初めて訪れました。
21日に仙台に入り、
22日石巻、
23日釜石
と回って来ました。

2年余り経った被災地に五感を刺激され、
一言で言うならば、「美しい」体験でした。
それは人間の美しさ、希望。

感じた事を、沖縄に戻った今、
ゆっくりとまとめているところです。

まず、23日の、釜石「創作農家こすもす」さんについて、
書いてみたいと思います。
(以下、こすもす)



岩手県釜石市にある創作農家こすもす。
今夏にwebで拝見し、”遊び場を失った子ども達に公園を”と
手づくりされた遊具や広場に衝撃を受けて以来、
訪れたいと思っていた場所です。

こすもすは、以前は、
宮司でもある代表の藤井さん所有の
畑にこすもすの種を植えたお花畑でした。
農業が難しくな
った事もあって、それなら花を植えよう、と始めたのだそうです。

震災のあと、公園や広場と言える場所の全てが仮説住宅の宅地に取られて、
子ども達の遊び場がなくなってしまいま
した。
それは現在も一切減る事なく、今も子ども達が外で自然と楽しめる場所はありません。
お出掛けしてお弁当を食べ
る公園や、遠足で訪れる場所が、ないのです。

そこで藤井さんは、こすもす畑を公園にしたい、と考え始めます。
でも頭で考える程簡単ではありませんでした。
どうしよう
かと思いあぐねていた頃、
震災の復興支援で関東から来て
いた外国人のグループに宿と食事を
提供した事がきっかけ
となって、現実のものになりました。
彼らは藤井さんの構想を聞くとすぐさま、「僕達で作れます!」と
何度も訪れては、山から木を切り出し、川に流れ
着いた大木を引き揚げ、
手づくりの遊具を創り上げてくれ
たのです。

実は彼らは、世界中から集まったパーマカルチャーの研究者で、
生活排水を浄化して自然に戻す事を農業と結びつけ
る専門家でした。
こすもす畑の一角がまだ田畑である事、
これから農地とし
ての活用も考えている事など、
藤井さんの構想にぴったり
と合う人々だったのです。

彼らの監督の下に作られたこすもすのトイレは、
最終的に
ミミズが自然に戻してくれる浄化槽となっています。
ミミズが創り出す最高の堆肥は、
今後こすもすで作られる
野菜にたっぷりと栄養を与えてくれるでしょう。
彼らが作ってくれた石釜で焼くピザは、子ども達の体験教室に使われる事もあります。
隣接する鉄工所の壁は、中国から通う画家の阿部さんによって、
美しい壁画となりました(11月末に完成予定)。
キッチンは、訪れる方のカフェ以外にも、
週一度、保育園への給食作りを担当しているそう。



こすもすは、子どもだけではなく、大人にも学びの多い、豊かな遊び場でした。
その背景には、想像以上の事情があって、
地域を見て回る
ほどにスタッフの皆様の明るさとは表裏一体の事実を知る事になりましたが、
出会いが新たな希望を生みだすチカラや、
チカラが私のよ
うな旅行者を惹き付ける魔法のような循環を、
五感で体験
したひと時でした。

体験した後は、行動、なのでしょう。
どう動こうか。
この局面で。
こう考えるのも、縁、と私は思います。


この地域・甲子では、渋柿はスモークにして渋を抜きます
見た目はまるで、熟したトマトです。


割ってみても、トマト。そのお味は…
あま〜くジューシーな果肉、ほんのりと香るスモーク…
ぜったチーズとワインに合う!!!
「ぜひブランド化してください!」と言うと、
いままさに
その準備中だとか!


週一でお弁当を届けている保育園からの、感謝状♪
地域のチカラ、地域の循環。



パーマカルチャーのみなさん。


長年の恋愛砂漠に、
一粒の麦、じゃなくて一滴の水、貴重な水源、
言うなればオアシスを見付けたことは、
以前「大好きな人」と題して書いてみましたけれども…



なんと!!!!



Profile
HN:
TOBARU SHOKO
性別:
女性
職業:
Creator
自己紹介:


フリーランスのジュエリー作家から調理の世界に寄り道後、アートのクリーエーションに魅了されて現在に至る。
育児支援施設にて親と子を対象とした造詣教室「親子でアート♪」を手掛ける他、下手の横好きで書きモノも少し。
アクセサリー制作は作家の補助、
初心者対象の教室、趣味での制作、など。
ちなみに画像は家宝のPIRELLI Calendar 96 by Peter Lindberghより。
okinawa出身。

                 
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