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たくさんの道草と、ものづくりの合間の独り言。
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昨日、宮本亜門さん演出のファンタスティックスのゲネプロ公演にお誘いいただいて、行って来た。

ファンタスティックスは、おおよその筋は知っていたものの初観劇。セットの全く無いシンプルなステージと、ステージの傍、舞台上にしつらえられた客席にまずびっくり。運良く?図々しく?その舞台横に座らせていただいて、俳優の皆さんを間近に見ることができた。


簡単に言ってしまうと隣り合った家に住む若い男女の恋愛劇で、親の画策による障壁や思春期特有の気持ちの変化など、若さ故のすったもんだのお話し。親もとても重要な位置を占めているので、ある二つの家族物語と言った感じだ。でも。亜門さんは違う。

まず、母親が一切出てこない。少女の母を思わせる品がたったひとつ出てくるけれど、妄想だと一蹴される。時代設定も場所も良く分からない。加えて二つの家庭の経済的な部分もうやむやで、少年の父親が元軍人(海軍)、少女の父はボタン屋であることだけが伝わる。全てが既成概念や思い込みを排除する仕掛けになっている(ロンドン公演ではわざと人種を混ぜ、少年側は黒人、少女側に白人、ミュート(黒子)にアジア人を起用したと聞いて、それも興味深いなあ~と思った)。
もともとアメリカのミュージカルなので役名は当然あちらの名前なのだけど、そこに日本人を充てることでより現実感が薄れ、ますます想像力をかき立てられるようにも思う。

言いたいことは何なのか、どこが主題なのかは観る人により様々なんだろうけど(一緒に観劇した友人曰く、何度も見ているけれどあらゆる所にメタファーがあって見る度に気付かされるんだそう)、私がずっしりと感じた言葉は、二役を演じる鹿賀さん(劇中劇になっていて、鹿賀さんは演出家でありジゴロ)が言った、

「目は知りすぎている、だから耳で聞こえるものを見ろ」

だった。
結局、少女はそんな事、うまくできなかったし、少年は激情に任せた結果 身を持って痛みを知ることになる。そして…

アメリカのオリジナルともロンドンの今っぽさとも、日本のこれは全然違うんじゃないかな。だからこそ混沌はもっとカオスで、しかしながら知りすぎている目ではなく耳で、五感で見ようと思えば感じることができるんだと思う。
ちなみにコメディーの部分もあって、私はヘンリー役の二瓶鮫一さんが大好き。笑って呼吸困難になり掛けた。ちょっと追い掛けてみたくなったかも。


もう一度 観たいなあ。次はもっとうまく耳で見られると思う。
ほんとファンタスティックだ。経験って。

http://hpot.jp/fantasticks/top.html
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TOBARU SHOKO
性別:
女性
職業:
Creator
自己紹介:


フリーランスのジュエリー作家から調理の世界に寄り道後、アートのクリーエーションに魅了されて現在に至る。
育児支援施設にて親と子を対象とした造詣教室「親子でアート♪」を手掛ける他、下手の横好きで書きモノも少し。
アクセサリー制作は作家の補助、
初心者対象の教室、趣味での制作、など。
ちなみに画像は家宝のPIRELLI Calendar 96 by Peter Lindberghより。
okinawa出身。

                 
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