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たくさんの道草と、ものづくりの合間の独り言。
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チェブラーシカ。
オレンジの箱に入って南方からやって来た、クマともサルともつかない容姿をした正体不明の動物であるチェブラーシカが、友達と協力して事に当たっては喜んだり落胆したりと冒険する旧ソ連の人形アニメーション。
気に入った映画は原語で見た後に日本語吹き替えでも見ることが多いのだけど、チェブラーシカはロシア語が断然良かった。何が良いって、チェブちゃんの拙なさ。気持ちが伝わって来るし、とにかく可愛い。
お陰で今、人生初というくらい激しい物欲に駆られている。
…チェブっちのヌイグルミがとんでもなく欲しい。…常に持ち歩いていたい。…できればロシア語を発するのが良い。
 
あまりにも刺激を受けたので、早速図書館でロシアの児童書を見に出掛けた。日本語訳ではなくロシア語版を探した所、復刻版といえどほとんどが貸し出しされていない貴重なものばかりで、地下の書庫から13冊も出して頂いて閲覧した。
1920後半~30年代の児童書はどれもとても素晴らしかった。構造主義というのか、単純な線と色、テクスチャーで表現しながらも楽しくて、今と変わらず職業別の制服特集や身の回りに溢れるものを題材にした所など、当時のロシア(その頃はもうソ連だけど)の子どもたちが喜んで見入る姿が目に浮かぶようだった。秘密のベールに包まれていた彼の地にも、どことも変わらない子どもたちがいたんだなあ。
 
最近、そういう思いを抱く場面が多くなって来た。自分の年齢もあるんだろうし、親子アートという仕事の影響もあると思う。そしていつも合わせて思い出す出来事がある。

9.11
の後、アメリカがイラクを攻撃しようとしていた頃、私は東京の反対運動に加わっていた。テレビも新聞も足りない!という焦燥感に駆り立てられて、ありとあらゆる講演会に足を運び、いつしか毎晩のようにミーティングに参加するようになっていた。その時父は、「お前ごとき素人が口を出すんじゃない」と電話口で怒鳴った。それ以前、沖縄に暮らしていた高校時代、祖母は「あんたは学者の言葉と地元に住んでいる人の言葉とどっちを信じるのか」と唇を震わせた。
どちらの時も、私はその時はまっていた“考え”を正解と信じていたし、一生懸命だった。周りの熱に埋没して、外部の声が届かないのを良い事にどんどん没頭して行ったようにも思う。
そもそも私は、正義感だけであんなに動けるほどパワフルな人間ではない。どちらかと言うと冷めた物の見方をする方でもある(沖縄では良くそう言われていた)。では何が私を突き動かしたのか。その原動力は…。
まだ表現する時ではないような気がするから書けないけれど、今では良く分かっている。いつか書けると良いけれど。

とにかくあの頃を経た今、父の言葉も、祖母の慟哭も素直に受け入れられるようになった。しかしそれとは引き換えになのかどうなのか…あの頃のように声を上げることは出来そうにない。だから、声を出すかどうかも含めて、新たな立場と場所を探しているのが今の状態なのかもしれない。

どんな土地であろうと、どんな歴史を経た現状であろうと、そこには人々の営みがあり、家庭があり様々な愛情と守るべき確固たる姿がある。
赤くて厚いカーテンの向こうにもチェブラーシカがいたように、きっとどんな秘密の場所にもチェブラーシカがいる。
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HN:
TOBARU SHOKO
性別:
女性
職業:
Creator
自己紹介:


フリーランスのジュエリー作家から調理の世界に寄り道後、アートのクリーエーションに魅了されて現在に至る。
育児支援施設にて親と子を対象とした造詣教室「親子でアート♪」を手掛ける他、下手の横好きで書きモノも少し。
アクセサリー制作は作家の補助、
初心者対象の教室、趣味での制作、など。
ちなみに画像は家宝のPIRELLI Calendar 96 by Peter Lindberghより。
okinawa出身。

                 
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