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たくさんの道草と、ものづくりの合間の独り言。
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友達から情報をもらって、ミッドタウンへ行って来ました。「押忍!手芸部」の部活に参加するのが目的。なんてタイムリー。
実は世田谷文学館での石井桃子展でも子どもとのワークショップをされていたようで、期日が過ぎてから気が付いてちょっと惜しかったなあと思っていました。
でも今回は年齢制限なし!そう、大人だけでも参加が可能!30分前に会場に着いて整理券をもらい、辺りをぶらぶら。天気が良いのもあってか、たくさんの人、人。みんな笑顔で楽しそう。私も散歩しながら幸せ。友達は、向かう車の中で息子1歳が眠ってしまって参加断念。…残念。子どもなしでひとりで参加って大丈夫かなあ…と思ったけれど、会場の芝生に用意されたシートに靴を脱いで座ったら、とても気持ちよくて不安なんて吹っ飛びました。


今日、作ったものは、ピンポン玉の頭とゴムひもの身体を持つ”しおり”です。

押忍!手芸部部長のお話しでは、文庫本に紐のしおりは実は手作業で付けられていて、結構大変なことなのだそうです(今ネットで調べた所では単価も¥100弱上がるみたいですね)。そこで、しおり紐の付いていない文庫本を読むときのためのゴム紐しおりをつくってしまおうと。しかもこれ、身体を模して手足があるので、4箇所をマーキングできます。歴史ものや推理小説なんかには重宝しそう。


さあー作業開始ですよ。
まずピンポン玉を受け取って、いろんな色のゴム紐から好きな色を選びます。1本/1色で作るのも良いですが、せっかくたくさんの色があるのだから…と周りの方と交換。あっという間に皆さん、2色で作る状態に。
しかし私、欲が出ました。
手足の色を全て変えたくなりました。
早速 席を移動。まだ交換されていない親子さん3人組みに声を掛け、運良く警戒されずに交換に成功、ここからが作業本番!です。お子さん二人はお兄ちゃんとお姉ちゃんで、お母さんの手元を凝視しつつ作業を見守っています。お母さんは少しプレッシャーだったでしょうか(笑)、それでも私達は”こうやると良さそうですねー、あ、そこはそうするんだー、外って気持ちいいですね”などなどお喋りしつつ、ゆったりと作業を進めることが出来ました。
そろそろ出来上がるかなあ、と思った頃に部長がやって来て、声を掛けてくれました。私の物については”平和の色、ラスタカラー蛍光版”だそうです。お言葉ありがとうございます!うれしいっす!押忍!


  
お姉ちゃんもお兄ちゃんも、お母さんにばっちり手伝ってもらって、お顔も描いて完成!
 
お姉ちゃんはさすが女の子ですね、髪の毛も描いて、可愛かったです。
お兄ちゃんは最初鋭いつり目顔だったのですが、私が”怖い!”って言ったからかなあ、その後見たら、変わってました(笑)。余計なこと言ったかな、ごめんね~。そしてお母さん、突然お邪魔して、お騒がせしました。とても楽しく作業できて感謝しています!押忍!
親子アートを手掛ける私としては、作業の流れやサポートがほぼ同じだったこと、押忍!手芸部グルミにインスパイアされて作ったネクタイウサコを部長に見ていただけたことが、収穫でした。
部長さま、これからも私、頑張りますので。押忍!


その後は息子も目覚めて合流した友達とお散歩、お昼を食べて、近所の友達宅にお邪魔して美味しい珈琲と手作りパウンドケーキをいただき、ご両親が作った素敵な大根はじめお野菜をお裾分けいただいて、GW最初のイベントは美しくもゆったりと過ぎて行ったのでした。
この1週間を締めくくるには、本当に理想的な1日でした。KちゃんRくん、ありがとうね。


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猛省中である。先週末は遊びすぎた。このツケは相当にでかい。…出来ることなら時間を巻き戻してやり直したい!が、どだい無理な話なので、何かを取り戻すべく、元々入っていた予定もお誘いもお断りして精神統一中。ほいほい出掛けたりしたら、それこそ本当にダメダメ人間になってしまいそう…。

 
ここで楽しい事をひとつ。ロマンスについて。
先述の「日本ロマンチスト協会」の方からとても丁寧なお返事をいただいているので、一部引用しつつ書いてみたい。
 
ことの発端は、友人との「大人の片思い」なるものについての論議。「大人は片思いをするのか。」それが友人の投げ掛けで、大人とは何だ、大人ではないとはなんだ、恋愛におけるみっともないことってなんだ、などなどやり取りを重ねに重ねたけれど、私たちの言葉の解釈がぜんぜん違っていて答えは出そうに無い。だって、“自己嫌悪”がどんな物なのかすら私たちの感覚には開きがあって、それらをどんどこ掘り起こすだけでも結構大変そう。恋愛はそもそも個人的なこと、恋愛にまつわる感覚は完全に個人の体験に与しているんだな~と面白くて、それゆえの私の答えは出た感がある。飽くまでも個人の意見として。
 
と、まとめに入りつつあったところに、ロマンチストが集う、ロマンスを考える協会があることを知ってしまった。組織ということは定義があるはずだ。友人間ですら答えらしい答えを出せなかったのに、組織としての答えがあるならぜひ伺いたい!という訳で早速ご連絡申し上げたところ、こんなお返事を頂戴した。
 
 
~今回のこの活動を通じて、賛同者を多数集めたいと考えています。しかし、他人に趣旨を伝える事の難しさを体験しています。

先ずは、定義の問題。
どの年齢層をターゲットにするのか。
我々は年齢層を超越した状態で、それぞれの立場でロマンスを解釈して 欲しいと思うのですが、やはりターゲットは絞った方が皆様には理解 して頂きやすいようです。

そして、性別の問題。
出来れば、性別年代関係なくロマンスを解釈したいのですが、なかなか 難しそうです。

日本ロマンチスト協会によると、以下の定義付けがされています。

ロマンスとは空想や夢想、ナルシズムとは異なるものです。
ロマンスとは“無限に開かれた未来に対する憧れ”であり、人が何かに対して創造的であろうとするエネルギーの源です。
人が大切な人との幸せを真剣に考え、それを意欲的に、かつ創造的に実現していこうというエネルギーこそ、ロマンスだといえるのです。

結局、ロマンスとは、外的に顕在化するものではなく、内在する感情等を言葉として表現して、楽しむ事が本質且つ肝要なのかもしれません。

何となくそんな感じがします。~
 
 
創造的であることと芸術活動は私の中ではイコールなので、少なからずナルシズムと繋がるものだと感じるのだけど、そうするとまた話しが飛んでしまうようだ。…富んでしまってもいるか(笑)
 
そう、「大人の片思い」について私が出した答えは…
大人は”片思い”はするにはするが、”大人じゃない頃のような片思い”はしない。だ。
少なくとも、大人じゃないときのような、自分の思いの処理に精一杯で相手の迷惑を顧みない“みっともない”行動はしない。一方的に相手も自分も苦しめない。自分が欲しい愛情のカタチ(ワタシは愛、と呼びたい!)をもう知っているから、相手と対峙してその先にそのカタチが望めるかどうかを判断する。ないなら先には進まない。ありなら=胸躍ったならば、自分も幸せな気分でいられる状態を維持しながら見極める。行動するかどうかはその時々で違うはず。相手に合った方法というものがあるはずだから。
しかしながら。
片思い=片恋、と考えたなら…大人の方がしていると言えるのかも知れない。
別れても好きであること、忘れられないこと…一方だけが思っている状態ということでは、これも片思いなんじゃないか。
 
友人の反応は、「なーんか違うなー。」だった。それって未練、というのが理由みたいだ。
そうか。それで行くと、片思いは“未知の人、未知への思い”なのか…。
 
…やっぱり答え、出そうにないなー。 今度映画でも見ながら語りたいわい。
サロンでも作る?(笑)


日本ロマンチスト協会
 http://japan-romance.com/

 

普天間米軍基地の移設問題がぐちゃっとしている。
4/25の県民集会、そこでの9万人の意思表示、身に着けた黄色い布、地元の人々の演説、普天間基地のある宜野湾市の高校、その学生による訴え…私が通っていた高校の学生だ。後輩がこうやって演説する姿を東京で、全国ネットのニュースで見るのは2回目だ。1回目は、米兵の幼女暴行事件。2回目が、今回。あ、市内の大学構内にヘリが墜落した事故もあったから、今回は3回目なのか。

沖縄の義務教育課程には、私の頃は郷土史があって、沖縄戦を含めて毎年学ぶのが普通だった。特に宜野湾市は「未来の宜野湾市」と題して普天間基地の跡地利用について考えるのが課題のひとつで、作文を書いたり、グループに分かれて絵を描いたり模型を作ったりした。
毎年だと正直ネタは尽きる。普天間基地の隣で生まれ育った私にとっては普天間基地のある景色が”故郷の風景”でもあるから、無い状態がどういうメリットをもらすのか、根本的には分かっていなかったと思う。だからもし、その課題で良い成績を取っていたとしたら、それは”教育”を”私という鏡”が写し取っていただけだったかも知れない。とにかく教育は考える種となり、思春期を迎えて高校を卒業する頃には、地元の友人達と”普天間基地がどこかに移ることでそこを不幸にするなら今のままで良い”という共通の思いを抱くようになった。

”ぜんぶフィデルのせい”という映画がある。カトリックの小学校に通う上流家庭の少女が、両親が共産主義に傾くことにより今までの生活が崩れ、新しい価値観に出会い、それを受け入れてゆく過程を描いた”小さな胸の葛藤物語”だ。
小さな胸はそれはそれは激しく揺れ動く。こんな馬鹿なことって無い!と怒りもする。今まで白だったことが黒かも知れないと考えるのは、大人も、子どもも、苦しいものだ。だから大人は少女と真剣に向き合う。できる限り説明もする。段々と、子どもは説明してくれる大人を信頼してみようと思うようになる。
そうやって過ごす内に、少女はある日、学校で習う聖書に矛盾を感じて教師であるシスターに質問する。シスターは答える代わりに少女を廊下に立たせた。答えを得る代わりに罰を受けたことが、少女の価値観の塗り替えを決定的にした。その姿は、私がカトリック教会に通っていた頃の日曜学校での体験に似ていた。質問する前の受身の少女、盲目的に信じる姿もまた、義務教育を受けていた頃の私そっくりだった。

”選べる自由”の自由度ははかり知れない。
少女は子どもだから、今は親の導きで生きなくてはならない。だけど大人になった時に、ふと立ち止まるはずだ。いくつかを比べた時、片方だけが全て悪いという場合は少なくて、どちらにも良い面があることにも気が付くと思う。その時に彼女は、どの価値観で、または自分で新たな価値観を得て生きるかを選ぶだろう。そうやって考える材料があることは、とても大きな財産だと思う。人生において。

私の母は、宮城県仙台市に生まれ育って、1961年に東北大学を卒業した沖縄人の父と結婚、まだ日本ではなかった沖縄にパスポートを持って嫁いだ。だから私の身体には、確実に二つの価値観が同居している。映画の少女のように葛藤しながら生きて、それが財産になり得ると信じ切れる様になるまで長い時間を要したけれど、いつだって私を私たらしめて立たせてくれるのは、この二つの価値観だ。


沖縄は、日本か。日本は沖縄を擁しているのか。
その政治的な問題が土地や人を隔てても、人間の血の価値観はいつだって正しく生き残る。
普天間基地がどう転んだとしても、やっぱりこれしかない。

帰宅途中の電車の中で、友人が友を亡くしたと知った。
ここ最近の友人とのやり取りで出たツール、”手紙”がどう使われていたのかにつていも思い当たった。
あの時、事情を知らない私が返した感想はあれで良かったのか。どう返したのかすら、もう思い出せないのに。


今日は一日中 渋谷にいて、夜はAさんとThemanticsなる学問についてお喋りしていた。言語学のひとつであるらしいこれをNYUCで学んだAさんと、言葉の面白さ、多角的な言葉の検証を自分の体験を素地に語り合っていたら、突然 霰が降り出した。それはどんどん勢いを増し、外に止まったタクシーのワイパーに積もるまでになった。もしかしたらあれも、今月の上旬に降ってニュースになった凍雨だったのかもしれない。
店を出るタイミングを逸した相席の女性とアイスランドの火山やこの季節について話していたら、霰を眺めていることがなんとなく楽しくなってきた。
地球は生きている。そしてそれを眺めている私たちも、間違いなく生きている。


人生は、退屈だろうか?人生は、平凡か?
平坦で、溜息の出る、変わり映えのしない毎日…?

人生はいつも試している。時には何がしかを突きつける。違う角度から事柄の裏を見てみろと囁く。
人生は、常に”思考”することを要求している。何をどうしたって、人は生きる。だから考える。それを私は人生と呼ぶ。昨日と同じ今日はない。

人生を思うのは、神様を思う感覚にほんの少し似ている。でも、神様は人を試したりしない。そんなに暇じゃない。神様がもし、私たちに要求することがあるとしたら、それも”思考”することではないかなと思う。
そして”思考”は、人が人に与えることだってある。時には自らの命をもって。


帰宅後、自分のおっちょこちょいでトイレの床を水浸しにしてしまった。
四つんばいになって、床の柄を拡大したり歪曲させたりするその透明な液体を拭き取りながら、もし友人ならこの液体に雫を加えるのだろうか、と、ふと思った。
その時から液体は泪になった。拭き取る手は祈りだ。そして布から絞られて流れていく水は、許しだ。

時間が全てにナシをつける。つけられるとそう信じているよ。





ネクタイ2本で作ります。
ネクタイの太い方の端を頭に見立てて、ハギレを詰めて胴体を作ります。細い方の端2本を耳にして、ぬいぐるみ用の目で胴体に留めます。残りの部分を多めに使って尻尾を作るとボリュームが出て自立します。 頭は、後ろで縫うなどして留めます。
余ったネクタイでウサコにネクタイも。蝶ネクタイでも…面白いかも知れません。

<内容>
1.ネクタイ×2本
2.ぬいぐるみ用の目
3.カラーワイヤー
4.ハギレ
5.ボンド




    
  

Profile
HN:
TOBARU SHOKO
性別:
女性
職業:
Creator
自己紹介:


フリーランスのジュエリー作家から調理の世界に寄り道後、アートのクリーエーションに魅了されて現在に至る。
育児支援施設にて親と子を対象とした造詣教室「親子でアート♪」を手掛ける他、下手の横好きで書きモノも少し。
アクセサリー制作は作家の補助、
初心者対象の教室、趣味での制作、など。
ちなみに画像は家宝のPIRELLI Calendar 96 by Peter Lindberghより。
okinawa出身。

                 
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