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たくさんの道草と、ものづくりの合間の独り言。
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昨日からイラストレーターで職務経歴書なるものを作り直していて、友人の経験談やら知人のイラレ知識など感謝感激なのだけど、作品ファイルを作っていたらデータが壊れた!ので一旦中止して出掛けることにした。ランニングに。
今日は前回よりきっと辛い。という予想通りにすぐに苦しくなって、野川公園に着いた頃には汗も凄かった。元々代謝は良い方だけど、汗を流れるままに放っておくと疲れが早い。かといって水分補給が水だと逆に気分が悪くなることがある。これは調理時代に経験して分かったこと。田舎の区民運動会で用意される飲み物が麦茶だったのは、理に適っていたんだなあ。おばあちゃんの知恵袋はすごい。

今回も芝生の上でストレッチしていて、股関節の具合が左右で違うことに驚いた。そう、昔から、お尻の筋肉ストレッチをすると、左は本来伸びるべき場所とは真逆の位置が痛くなるんである。忘れていたことを思い出して、ゆっくり、ゆっくりほぐす。だんだんと痛みが無くなって伸びていく股関節。ああ、やはり運動とは必要不可欠なものなのだなあ。
なんだかだるくて帰りはもう走る気が起きず、川べりを歩くことに。菜の花の種を縦に割いて種を確認してみたり、たんぽぽの綿毛やクローバーの花を愛でたり。でもだるさは抜けず。なぜかって。。。
今私は、ちーごーごー中なのである。ちーごーごーとは、沖縄の方言で「血がどばどば出ている状態=怪我」を指す。しかしまあ、面白く使えば良いさーね。女性は月一でちーごーごーになるわけさーあきさみよー。
この言葉を、沖縄のNHKラジオで地元のコメディアンがアナウンサーに説明した時、アナウンサーが返すことには
「じゃあ、号泣は、涙ごーごー、ですか!?」
…言わんよ。そんなこと、言わん!でも知らないって面白い。言葉を知ってる沖縄の人はそんな不思議な組み合わせ、これっぽっちも思い付かない。

沖縄方言ネタで忘れられない事件をもうひとつ。世界のカンムリワシこと元世界チャンピオンボクサー具志堅用高がクイズダービーに出たときのこと。私たちは茶の間で番組を見ながら夕食の最中だった。
大橋巨泉が、具志堅に若手ボクサーについて質問。それに対してグッシーは、
「ああ、良いボクサーっちゅよ、チューバーっちゅ。」
誰も分かるはずが無い。チューバーとは、うちなーぐちで「強い人」のことである。もちろん巨泉は、チューバーってなんですか、と再び質問した。彼は即答、
「ガージューっちゅ。」
…茶の間が凍りついたことは言うまでも無い。グッシーは本当にパンチドランカーなんだなーと幼心に確信したことを覚えている。ちなみにガージューは、「我の強い人」という意味だ。多分転じて「強固なやつ」と言いたかったのか。私は「丈夫な人」って感じで受け取った。
5歳の頃、ククレカレーの懸賞で当てた真っ赤なグッシーパーカーが大のお気に入りだった。彼は、愛すべき私のヒーローだった。まだ生きてるけど。
てなわけで、この辺で私はお風呂にgo!go!しようね~。

追記:今日の3キロ弱のジョギングで体重-1.2kg。走るのはダイエットの近道っちゅ。あ、運動したら食事もしっかりと摂りましょう。
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今日は本当に久々に走った。
長い付き合いの友人は、私を「ランナー”だった”ひと。」と呼ぶ。「ハムの人」もいつか「ハムだった人」って呼ばれるのか?
5年くらい前までは、毎朝早朝ランをして、時々長距離を一日掛けてゆっくり走り、年に数回短い距離のレースに出ていた。ランニング歴3年に入った頃にはフルマラソンに出る身体を作る10ヶ月プランというものを実践したりした。でもここ数年は何かのきっかけで走るくらいになってしまって、本当に身体がなまってなまって…。
きっかけとはずばり 「反省」 である。Runningという言葉には”逃げる”という意味もあるんだから、嫌なことから離れてひとり黙々と汗かいて思考をすっきり、自分の中でさっぱり解決させるにはぴったりの運動だ!と思う。
反省材料がなくても走りたい時はちょくちょくある。それなのに実行できない理由は、ここ1年で身体がすごく変わってしまったからだ。今の私は、走るには筋肉が足りなさ過ぎて、脂肪が付きすぎているんである。
私は元々持久力?根性はあっても体力が無い方だから、この身体の変化は辛い。だからって走らないと改善されないのにこの悪循環…。
で、今回も結局、「反省」きっかけでのランニングがスタート。

良い天気で空気は乾燥していて、今日は走るには絶好のお天気。野川沿いのいつもの公園でストレッチをして(い、痛い。柔軟性も落ちていた…)、目指すは3キロ先の都立野川公園。身体がなまっている時に普通に走るのは危険なので、今の自分ペースでLSD(Long,Slow,Distance。無理なくゆっくり長距離を走ること)で調子を見ようとスタート!したのに…1.5キロくらいで止まってしまいウォーキング交えて野川公園着。
あーやっぱりそうかー、と思ったけれど、ストレッチしながら身体と会話しつつ芝の上に寝転んで青空を見るのは良い気分だ。自分の身体を把握して、大地や自然と触れ合って…心洗われるとはこういうことか。

予定では、18時には風呂を上がってさっぱり気分でNHKの「ハーバード白熱教室」を鑑賞、頭が良くなった気分で昨日いただいた野菜てんこ盛りの夕食を作るつもりだったのに、帰宅したらもう18時を過ぎていた。楽しんだんだなあ、私。

ちなみに走った後の感想は、新陳代謝の目安である汗が以前より出ていたことに驚いた。脂肪は水を蓄えるって、こういうこと?あれはむくみの話しか。。。あ、あと、菜の花やヒナゲシなどが咲き乱れる川沿い、八重桜の花びらが舞い散る遊歩道、綺麗だったなあ。
そう、ここ1年の身体の変化にはもうひとつ「体臭」がある。汗腺から脂出さなきゃってことも実は常々思っていた案件。これも頑張って改善させよう…と堅く誓うものである。まる。



友達から情報をもらって、ミッドタウンへ行って来ました。「押忍!手芸部」の部活に参加するのが目的。なんてタイムリー。
実は世田谷文学館での石井桃子展でも子どもとのワークショップをされていたようで、期日が過ぎてから気が付いてちょっと惜しかったなあと思っていました。
でも今回は年齢制限なし!そう、大人だけでも参加が可能!30分前に会場に着いて整理券をもらい、辺りをぶらぶら。天気が良いのもあってか、たくさんの人、人。みんな笑顔で楽しそう。私も散歩しながら幸せ。友達は、向かう車の中で息子1歳が眠ってしまって参加断念。…残念。子どもなしでひとりで参加って大丈夫かなあ…と思ったけれど、会場の芝生に用意されたシートに靴を脱いで座ったら、とても気持ちよくて不安なんて吹っ飛びました。


今日、作ったものは、ピンポン玉の頭とゴムひもの身体を持つ”しおり”です。

押忍!手芸部部長のお話しでは、文庫本に紐のしおりは実は手作業で付けられていて、結構大変なことなのだそうです(今ネットで調べた所では単価も¥100弱上がるみたいですね)。そこで、しおり紐の付いていない文庫本を読むときのためのゴム紐しおりをつくってしまおうと。しかもこれ、身体を模して手足があるので、4箇所をマーキングできます。歴史ものや推理小説なんかには重宝しそう。


さあー作業開始ですよ。
まずピンポン玉を受け取って、いろんな色のゴム紐から好きな色を選びます。1本/1色で作るのも良いですが、せっかくたくさんの色があるのだから…と周りの方と交換。あっという間に皆さん、2色で作る状態に。
しかし私、欲が出ました。
手足の色を全て変えたくなりました。
早速 席を移動。まだ交換されていない親子さん3人組みに声を掛け、運良く警戒されずに交換に成功、ここからが作業本番!です。お子さん二人はお兄ちゃんとお姉ちゃんで、お母さんの手元を凝視しつつ作業を見守っています。お母さんは少しプレッシャーだったでしょうか(笑)、それでも私達は”こうやると良さそうですねー、あ、そこはそうするんだー、外って気持ちいいですね”などなどお喋りしつつ、ゆったりと作業を進めることが出来ました。
そろそろ出来上がるかなあ、と思った頃に部長がやって来て、声を掛けてくれました。私の物については”平和の色、ラスタカラー蛍光版”だそうです。お言葉ありがとうございます!うれしいっす!押忍!


  
お姉ちゃんもお兄ちゃんも、お母さんにばっちり手伝ってもらって、お顔も描いて完成!
 
お姉ちゃんはさすが女の子ですね、髪の毛も描いて、可愛かったです。
お兄ちゃんは最初鋭いつり目顔だったのですが、私が”怖い!”って言ったからかなあ、その後見たら、変わってました(笑)。余計なこと言ったかな、ごめんね~。そしてお母さん、突然お邪魔して、お騒がせしました。とても楽しく作業できて感謝しています!押忍!
親子アートを手掛ける私としては、作業の流れやサポートがほぼ同じだったこと、押忍!手芸部グルミにインスパイアされて作ったネクタイウサコを部長に見ていただけたことが、収穫でした。
部長さま、これからも私、頑張りますので。押忍!


その後は息子も目覚めて合流した友達とお散歩、お昼を食べて、近所の友達宅にお邪魔して美味しい珈琲と手作りパウンドケーキをいただき、ご両親が作った素敵な大根はじめお野菜をお裾分けいただいて、GW最初のイベントは美しくもゆったりと過ぎて行ったのでした。
この1週間を締めくくるには、本当に理想的な1日でした。KちゃんRくん、ありがとうね。


猛省中である。先週末は遊びすぎた。このツケは相当にでかい。…出来ることなら時間を巻き戻してやり直したい!が、どだい無理な話なので、何かを取り戻すべく、元々入っていた予定もお誘いもお断りして精神統一中。ほいほい出掛けたりしたら、それこそ本当にダメダメ人間になってしまいそう…。

 
ここで楽しい事をひとつ。ロマンスについて。
先述の「日本ロマンチスト協会」の方からとても丁寧なお返事をいただいているので、一部引用しつつ書いてみたい。
 
ことの発端は、友人との「大人の片思い」なるものについての論議。「大人は片思いをするのか。」それが友人の投げ掛けで、大人とは何だ、大人ではないとはなんだ、恋愛におけるみっともないことってなんだ、などなどやり取りを重ねに重ねたけれど、私たちの言葉の解釈がぜんぜん違っていて答えは出そうに無い。だって、“自己嫌悪”がどんな物なのかすら私たちの感覚には開きがあって、それらをどんどこ掘り起こすだけでも結構大変そう。恋愛はそもそも個人的なこと、恋愛にまつわる感覚は完全に個人の体験に与しているんだな~と面白くて、それゆえの私の答えは出た感がある。飽くまでも個人の意見として。
 
と、まとめに入りつつあったところに、ロマンチストが集う、ロマンスを考える協会があることを知ってしまった。組織ということは定義があるはずだ。友人間ですら答えらしい答えを出せなかったのに、組織としての答えがあるならぜひ伺いたい!という訳で早速ご連絡申し上げたところ、こんなお返事を頂戴した。
 
 
~今回のこの活動を通じて、賛同者を多数集めたいと考えています。しかし、他人に趣旨を伝える事の難しさを体験しています。

先ずは、定義の問題。
どの年齢層をターゲットにするのか。
我々は年齢層を超越した状態で、それぞれの立場でロマンスを解釈して 欲しいと思うのですが、やはりターゲットは絞った方が皆様には理解 して頂きやすいようです。

そして、性別の問題。
出来れば、性別年代関係なくロマンスを解釈したいのですが、なかなか 難しそうです。

日本ロマンチスト協会によると、以下の定義付けがされています。

ロマンスとは空想や夢想、ナルシズムとは異なるものです。
ロマンスとは“無限に開かれた未来に対する憧れ”であり、人が何かに対して創造的であろうとするエネルギーの源です。
人が大切な人との幸せを真剣に考え、それを意欲的に、かつ創造的に実現していこうというエネルギーこそ、ロマンスだといえるのです。

結局、ロマンスとは、外的に顕在化するものではなく、内在する感情等を言葉として表現して、楽しむ事が本質且つ肝要なのかもしれません。

何となくそんな感じがします。~
 
 
創造的であることと芸術活動は私の中ではイコールなので、少なからずナルシズムと繋がるものだと感じるのだけど、そうするとまた話しが飛んでしまうようだ。…富んでしまってもいるか(笑)
 
そう、「大人の片思い」について私が出した答えは…
大人は”片思い”はするにはするが、”大人じゃない頃のような片思い”はしない。だ。
少なくとも、大人じゃないときのような、自分の思いの処理に精一杯で相手の迷惑を顧みない“みっともない”行動はしない。一方的に相手も自分も苦しめない。自分が欲しい愛情のカタチ(ワタシは愛、と呼びたい!)をもう知っているから、相手と対峙してその先にそのカタチが望めるかどうかを判断する。ないなら先には進まない。ありなら=胸躍ったならば、自分も幸せな気分でいられる状態を維持しながら見極める。行動するかどうかはその時々で違うはず。相手に合った方法というものがあるはずだから。
しかしながら。
片思い=片恋、と考えたなら…大人の方がしていると言えるのかも知れない。
別れても好きであること、忘れられないこと…一方だけが思っている状態ということでは、これも片思いなんじゃないか。
 
友人の反応は、「なーんか違うなー。」だった。それって未練、というのが理由みたいだ。
そうか。それで行くと、片思いは“未知の人、未知への思い”なのか…。
 
…やっぱり答え、出そうにないなー。 今度映画でも見ながら語りたいわい。
サロンでも作る?(笑)


日本ロマンチスト協会
 http://japan-romance.com/

 
帰宅途中の電車の中で、友人が友を亡くしたと知った。
ここ最近の友人とのやり取りで出たツール、”手紙”がどう使われていたのかにつていも思い当たった。
あの時、事情を知らない私が返した感想はあれで良かったのか。どう返したのかすら、もう思い出せないのに。


今日は一日中 渋谷にいて、夜はAさんとThemanticsなる学問についてお喋りしていた。言語学のひとつであるらしいこれをNYUCで学んだAさんと、言葉の面白さ、多角的な言葉の検証を自分の体験を素地に語り合っていたら、突然 霰が降り出した。それはどんどん勢いを増し、外に止まったタクシーのワイパーに積もるまでになった。もしかしたらあれも、今月の上旬に降ってニュースになった凍雨だったのかもしれない。
店を出るタイミングを逸した相席の女性とアイスランドの火山やこの季節について話していたら、霰を眺めていることがなんとなく楽しくなってきた。
地球は生きている。そしてそれを眺めている私たちも、間違いなく生きている。


人生は、退屈だろうか?人生は、平凡か?
平坦で、溜息の出る、変わり映えのしない毎日…?

人生はいつも試している。時には何がしかを突きつける。違う角度から事柄の裏を見てみろと囁く。
人生は、常に”思考”することを要求している。何をどうしたって、人は生きる。だから考える。それを私は人生と呼ぶ。昨日と同じ今日はない。

人生を思うのは、神様を思う感覚にほんの少し似ている。でも、神様は人を試したりしない。そんなに暇じゃない。神様がもし、私たちに要求することがあるとしたら、それも”思考”することではないかなと思う。
そして”思考”は、人が人に与えることだってある。時には自らの命をもって。


帰宅後、自分のおっちょこちょいでトイレの床を水浸しにしてしまった。
四つんばいになって、床の柄を拡大したり歪曲させたりするその透明な液体を拭き取りながら、もし友人ならこの液体に雫を加えるのだろうか、と、ふと思った。
その時から液体は泪になった。拭き取る手は祈りだ。そして布から絞られて流れていく水は、許しだ。

時間が全てにナシをつける。つけられるとそう信じているよ。




Profile
HN:
TOBARU SHOKO
性別:
女性
職業:
Creator
自己紹介:


フリーランスのジュエリー作家から調理の世界に寄り道後、アートのクリーエーションに魅了されて現在に至る。
育児支援施設にて親と子を対象とした造詣教室「親子でアート♪」を手掛ける他、下手の横好きで書きモノも少し。
アクセサリー制作は作家の補助、
初心者対象の教室、趣味での制作、など。
ちなみに画像は家宝のPIRELLI Calendar 96 by Peter Lindberghより。
okinawa出身。

                 
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